平野郷の陣屋は天明年間土井候の下総の国古河藩時代に置かれ 明治2年の版籍奉還後陣屋は廃止 跡に郷役場 警察署 小学校が出来 平野郷は大阪市に編入 奈良街道拡張後 平野小学校のみ此処に現存しています。
もと古河藩陣屋門
この門は現在の平野小学校所在地にあった古河藩陣屋門で、明治の廃藩後平野小学校の表門として昭和2年まで使用されていたが、小学校舎新築拡張にともない保存の要望があって昭和37年1月、ここに移築された。平野郷の藩政時代を示す唯一の遺構であり、その門扉は樟(くすのき)の一枚板である。江戸時代の平野郷はおよそ元禄7年(1694)を境にして前期は幕府領、後期は大名領地であった。とくに正徳3年(1713)下総国古河藩主、本多忠良に給与されて以来、明治2年の版籍奉還までの156年間は松平侯、土居侯と大名は代わったが古河藩付所領であった。陣屋は土井侯の古河藩時代に設置され、平野郷をはじめ摂津近在にある古河藩所領の行政事務を取り扱っていた。
移築門(大念仏寺)
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